今年もまた、紫陽花の散る頃がやってきました。梅雨の晴れ間、雨上がりの空に虹がかかるのを見上げると、どうしてもあの日のことを思い出してしまうのです。
数年前の梅雨、私は一人旅で鎌倉を訪れました。目的はただ一つ、美しい紫陽花を見ること。長谷寺や明月院など、紫陽花の名所を巡りました。雨に濡れた紫陽花は、息をのむほど美しく、まるで絵画のようでした。
特に印象に残っているのは、ある小さな寺の庭です。観光客もまばらで、静寂に包まれたその庭には、色とりどりの紫陽花が咲き乱れていました。私はベンチに腰掛け、しばらくの間、その景色を眺めていました。
すると、一人の老婦人が近づいてきて、隣に座りました。私たちはしばらく言葉を交わさずにいましたが、やがて彼女は静かに語り始めました。彼女は毎年、紫陽花の咲く頃になると、この寺を訪れるのだと言います。亡くなったご主人との思い出の場所なのだそうです。
彼女の話を聞きながら、私は自分の人生について深く考えました。大切な人との別れ、過ぎ去った時間、そして未来への希望。紫陽花の美しさの中で、私は自分の心と向き合うことができたのです。
別れ際、老婦人は私に微笑みかけ、「また来年会えるといいわね」と言いました。私は「はい、必ず」と答えました。それが、私たち二人の約束となりました。
しかし、翌年、私は鎌倉を訪れることができませんでした。仕事が忙しく、時間を作ることができなかったのです。そして、その翌年も…。
今年こそは、必ず鎌倉へ行こうと思っています。あの寺を訪れ、老婦人との約束を果たすために。もし彼女がいなくても、私は紫陽花の前で、彼女のことを思い出すでしょう。そして、あの日の約束を胸に、また新たな一歩を踏み出すのです。
紫陽花の散る頃、私は記憶を辿る旅に出ます。それは、過去の思い出を振り返るだけでなく、未来への希望を見つけるための旅でもあるのです。
写真は、数年前に鎌倉で撮影した紫陽花です。雨に濡れて、より一層美しく輝いていました。
